読書の記録を読むと7年前は、「英語論文を読みこなす技術」を読んでいた。
何とかして英語論文を読みこなせるようにようになりたい、という一心でがんばっていた。
そもそも学術論文のようなものは、日本語で読んでもよく理解できないことが多いのに、英語で読めるはずもなかった。とはいえ、そこから逃げていては研究が進捗しないので必死に取り組んでいたのである。
しかし時代は変わった。
AIを使えば、もう英語論文を理解するために英語と格闘する必要はなくなった。
それでは、もう英語学習の意義はなくなったのだろうか。
僕自身は、やはりAIに頼ることなく、直接読んだり書いたりできたほうがいいとは思う。直接読めば、著者が文章に込めたメッセージをよりダイレクトに理解することができるからである。
たとえば、「悲しみ」というような単語でも、griefもあればsorrowもあればsadnessもある。これらを感じるための知識は必要だと思うからである。
かといって、便利なAIに頼らないということではない。最大限に使い倒して、生産性を上げるべきだと思う。かつては1日に1本しか読めなかった論文が1日10本になる。
ただ同時に、日々の英語学習は継続する、というのが僕のスタンスである。恐らくこれは一生終わらないのである。

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