一次史料にあたることができる強さ
- Masayuki MASUDA
- 2 日前
- 読了時間: 2分
磯田先生の本は期待を裏切らない。本書は先生が古文書を読み解いて、そこから日本史の内幕に迫ったものだ。
先生はなんと15歳で古文書の解読をはじめたそうだ。その理由は、教科書のなかに知りたいと思う歴史がなかったから。つまり教科書は、政府や学者の願望ー国民のみなさん、われわれの歴史はこんなものでした。このように思ってくださいーに過ぎないというのだ。
そんな先生は、このごろ歴史小説を読んでも面白いものが少ないという。その理由を次のように説明している(大雑把に書きます)。
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歴史小説家や脚本家たちは、たとえ古文書は読めなくても情報検索は巧い。しかし、すでに活字化された有名な史料をやネット辞書に出てくる情報をもとに、手をかえ品をかえ加工してるだけなので金太郎飴のように似ているから。
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その点、磯田先生は古文書を解読できるので一次史料にあたることができる。ここが強い。
この点について、AIの活用しながら仕事を効率化している自分のことを省みた。たとえば授業後にはたくさんのコメントが集まる。これを手作業で整理・要約するのと、AIに整理・要約をしてもらうのとで仕上がりは大きく違う。
表現が難しいが、後者は本来のコメントにあった̚生き生きとしたものが取れて、じつにマイルドな仕上がりになってしまうのである。おそらくプレゼンテーションスライドなども、人間が作ったものと、AIが作ったものとではかなり違うのではないか。
話を戻そう。
もちろん古文書に書かれていることがすべて真実ではないが、それはそれで、なぜ虚偽が書かれたのか、その背景を探ることで歴史の姿がはっきりみえてくることも多いという。
こちらは先生と正反対に思慮深くない。なので、本書を読むことで、磯田先生がいかに深く歴史を読み取っているのか、その一端に触れて楽しむしかないのである。

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