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執筆者の写真Masayuki MASUDA

解明すべきは劣等感

正確には,内容のわかるところだけを読んだ。


著者が解くべき問題として挙げていることに、「植民地にされなかった日本にどうして顕著な西洋化が現れたのか」というものがあった。


強制されないのに自発的に異文化受容が起きたのは何故なのか、ということである。これは僕のような素人も面白いと思えたところだった。


著者は、これを文化支配という概念では説明できないとして、解明すべきは劣等感や憧憬といった形で現れる文化支配のプロセスだといっている。


たとえば、料理が苦手だったり、野球が下手だったり、英語が話せない事実からは必ずしも劣等感は生まれない。野球ができなくても、英語が話せなくても、ほとんどの人にとっては何でもない。


しかし、料理が主婦の務めだと信じる女性や、一流の板前になろうと志す人にとって料理が下手なのはつらい。あるいはアメリカ人のように英語を話したいと思うから、英語ができないと恥ずかしく感ずるという。身体上の劣等感についても同じだという。


「何々のようになりたい」、「何々のようでありたい」という欲望、「何々のようでなければならない」という要請は何に由来するのか。価値・規範はどのように内在化されるのか、と続いているが,これ以上はきつかったのであきらめた。






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